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医師として生きる 1:キャリアスタート
2020/06/05
こんにちは。
院長の鈴木です。
以前、インタビューで美容外科医を目指した経緯についてお話をさせていただいた際に結構な反響をいただきました。
皆様に私の医師としての背景・考えにもご興味をいただいてると感じており、大変嬉しい限りです。
そこで、これから徒然ではありますが、私の医師としてのキャリア、その時感じたこと等、これまでのキャリアを振り返りつつ、「医師:鈴木 芳郎」がどう出来上がってきたかをつらつらとシリーズ化(医師として生きる)して書いていこうと思います。
ちょっとしたブレイクタイムのお供にでもお付き合いいただけますと幸いです。
◆シリーズ1:医師としてのスタート
私が医師としてのキャリアをスタートさせた当時は、当然、今のような美容外科医ではありませんでした。
医学部の卒業を前にして、何科に入局しようかと考えた時、
私の選択基準としては
・手術が出来る科であること
・救急医療と関連性の強い科であること
・教授の人間性に共感できる科であること
が3つの条件としてありました。
そう考えると、当時、形成外科の教授をしておられたM先生が救急医学にも関心が高く、形成外科の創始者の一人として全国的にも有名で、遠方からも沢山の人が手術を受けに来ていたこと。かなり厳しい先生でしたが教育熱心で魅力的な方だったこと。などでそれほど迷うことなく形成外科に入局することを決めました。
この医局ではいったんは入局はさせるのですが、そのあとすぐに2年間の出張に出されます。
これは教授の方針で、最初に他人の飯を食って来いということなのです。その2年をしっかりとやってきたものだけが医局に戻れるということでもありました。
私はまず全身管理ができるようになりたいという気持ちで、国立東京第二病院の麻酔科にご厄介になりました。
ここで半年間麻酔を研修し、そのあとは同じ病院の外科に入れていただき、主に消化器外科を研修しました。
当時は今ほどリスクマネージメントに厳しくなく、新人でもやる気さえあれば手術もやらせてもらえましたので、必死で手術をさせてもらえるようアピールしました。
この研修の2年間の間はほとんど手術室で過ごしたといっても過言ではありません。夜もほとんど手術室の控え室にいて、急患が来るのを待っているという毎日でした。
外科医が最初にやらせてもらえる手術は盲腸炎の手術ですので、まずは盲腸の患者が来るのをじっと待っているわけです。
ところが夜間の救急外来に来るのは盲腸ばかりではありません。
外傷の患者が来ることも多々あり、そういったときにも当直医の縫合の手伝いをさせてもらいます。
ポリクリ(医師見習い)のときから縫合が好きだった私は縫合ができるチャンスがあればハイエナのようにそれを見つけては縫合させてもらうといったことを繰り返していました。その甲斐あって縫合の技術も上達しましたし、盲腸の手術も2年間で200例近くやったと記憶しています。
こんな生活を送っているうちに消化器外科の魅力にひかれ、このまま消化器外科を続けたい気持ちがつのり、2年の出張を1年延ばしてもらい、外科のレジデントとしてさらに高度な手術を沢山行うようになってきます。
そうしますと、ますます消化器外科にのめりこんでいってしまい、この頃は本当におなかを開くのが楽しくて仕方がないといった状態でした。
そしてこのまま消化器外科医になってしまおうと考えていたときに大学の医局から呼び戻しの連絡が入ってきてしまいます。
ここまでの長文お付き合いありがとうございました。
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